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開発秘話 vol.4 ラッシュ編①
2022.07.25 PRODUCT

開発秘話 vol.4 ラッシュ編①

トレランカルチャー黎明期の熱量を込めた、「ラッシュ」誕生前夜

「開発秘話」第4回は、トレイルランニング向けのバックパックシリーズ「ラッシュ(RUSH)」。日本人の体型にフィットする設計を基本に、山岳レースからロードのランニングまで対応するバリエーションモデルを展開し、2014年の発売以来多くのランナーから支持を集めてきた。

「ラッシュ」シリーズ、その開発背景をあらためて振り返ってみたい。なお、「ラッシュ編」は全3回を予定しており、今回は1996~2010年までのパーゴワークス創設前のストーリーをお届けする。

―「ラッシュ」はファーストモデルが登場してからそろそろ約10年が経ちます。ゆえに、今のユーザーにとっては、プロダクトの「派生」の部分を追いかけていることになっていると思います。そこで、まずは「起源」から伺っていきたいのですが。

「パスファインダー」の話と共通するけど、パーゴワークスをはじめる2011年より前から、今の「ラッシュ」シリーズにつながる製品を作っていたんだよね。せっかくなので、そこから振り返ってみようか。

原点から話すと90年代前半まで遡るんだけど、当時はトレラン黎明期。山や自然を走ること=トレランは今みたいにメジャーなアクティビティではなく、コアな人たちの遊びだった。言葉としても、トレイルランニングではなくアドベンチャーレースという方がしっくりくるかな。ハセツネ(日本山岳耐久レース 長谷川恒男カップ)がスタートしたのが1992年で、まさに日本でトレイルランニングというものが産声を上げた時代だった。

その頃はまだデザイナーというよりプレイヤー。ハセツネにも4回くらい参加したし、同時に国内で開催されたアドベンチャーレースにはサポートで参加して、シーンをど真ん中で体感していたんだよね。世界初のアドベンチャーレースとされるレイド・ゴロワーズが岐阜の長良川で開催されたときは、川下りのセクションはヘリの空撮があったし、海外からの参加者もいたし、結構盛り上がっていた記憶がある。今でいうUTMB(ウルトラトレイル・デュ・モンブラン)みたいな盛り上がりをイメージしてもらうとわかりやすいと思う。

でも、俺自身、そんなにワクワクしなかった。

というのも、アドベンチャーレースっていうと海外の“本場”を見ていたから、「もっとかっこいいはずだ」って。ニュージーランドのサザントラバースというレースを見に行ったときは、走るフィールドは圧倒的な大自然だし、ランナーのスタイルも格好いいし、使っているギアも見たことないものばっかりだし、めちゃくちゃ輝いていた。

一方、アドベンチャーレースやトレイルランニングに関わらず、日本のアウトドアシーンはまだかっこいいとは言えなかった時代だった。でも、シーンが盛り上がる瞬間の熱狂みたいなのはあって、デザイナーとしてバックパックを作ってみたい、本場よりもっとかっこいい文化を作りたいという気持ちが芽生えていった。

―日本国内でプレイヤーとして参加することで熱狂を体感し、海外のシーンを知ることでビジョンが見えてきた、という感じでしょうか。当時はすでにアウトドアメーカーの外部デザイナーとしてバックパックを設計していたと思うのですが、自身のブランドを立ち上げるのもその頃ですよね。

当時、「ジャーニーラン」という耐久レースを主催している人と知り合ったんだけど、それは本当に途方もないレースで、100kmから長いときは1000kmくらい。1日だいたい50kmくらいで、1000kmだと20日かけて走るのかな。北海道のレースは苫小牧から稚内までの500kmを行って帰って1000km。

そのジャーニーランには、サポートで入っていたんだけど、もうめちゃくちゃなレースで、ランナーの人生が見え隠れするくらい。余談だけど、そのレースは『天使のマラソンシューズ』というドラマにもなっていて、その撮影用のバックパックを作ったこともある(笑)。

ちょうどその頃に、デザイナーとして独立して、アキ(齋藤徹の妻)と一緒にバックパックのメーカーをスタートさせた。ブランド名は「Journey Junkey」。

「Journey Junkey」は、「開発秘話 チェストバッグ編」でも出てくるんだけど、チェストバッグはあくまで自分で使うもので、販売を目的としたプロダクトではなかった。こっちは、レースとか大会に出るランナーに向けてカスタムメイドで売っていたもの。自分で作って売って生計を立てたはじめてのアイテムでもある。

この「Journey Junkey」を作ろうと思ったのは、ランナーを見ているとバックパックが必ずしもフィット感がいいとは言えず、荷物が揺れていた。とくにハセツネなんかはナップザックみたいなデイパックで出ている人も多くて、今みたいなラン向けの専用のバックパックはほとんどなかった。

デザイナーとしては、そこをやってみたいと思ったわけ。もちろんプレイヤーでもあったから、自分でも使ってみたいという気持ちもあった。

―ようやく「開発秘話」らしくなってきました。当時はどんなバックパックメーカーのものがあったのでしょう。

頑張っていたのは、ULTIMATE DIRECTIONSとMACPACかな。UDは、かっこいいけど重かった。でもむちゃくちゃ考え方が新しくて、走るときに肩甲骨が自由になるようにショルダーハーネスが独立して作られていたり、荷重を腰で背負えるような設計になっていたり、とにかく攻めた設計だった。商品も毎年モデルチェンジして、「設計思想をリセットしたんじゃないか?!」ってくらい変えていた。それがすごく面白くて、ものづくりの自由さを感じた。

ちょうどシーンが伸びていたこともあって、道具の進化を目の当たりにしたし、そういう変化にフレキシブルに対応できるのがバックパックの世界なのだと気づいたのもこの頃。で、外部からの刺激を受けながら、カスタムメイドでバックパックを作りたいと思ったのが、「Journey Junkey」。

―ブランドを立ち上げたとはいえ、どのように販売していたのでしょうか。

イベントや説明会、報告会に行って、「こんなパック作りますよ~」ってオーダーシートを手で配って注文をもらうという、すごくアナログな活動だった。サンプルのバックパックを持って会場に行くと、主催者が「今日はバックパックを作っている齋藤さんが来ていますので」って紹介してくれた。すると「え~どれどれ」ってランナーが集まってくる(笑)。

実際に背負ってもらって、気に入ってもらった人にはオーダーしてもらう感じ。オーダーシートは、ポケットの仕様とか生地の色を選べるようになっていて、細かいカスタマイズも受けていた。ポケットもメッシュのベルクロ仕様か生地のジッパー仕様とかね。

当時はメールくらいしかやりとりする手段が普及していなかったし、ウェブサイトも作らなかったと思う。そんなにネットに頼ることはしていなくて、対面で話して、サンプルを見せてオーダーをもらう感じ。で、完成したら発送。アキと一緒にひとつずつミシンで縫って、200個くらい作ったかな。

でも、やっているうちに気づいたんだけど、作っているうちに改善しちゃって同じ製品を作れない(笑)。結局バージョンアップを頻繁に繰り返して、ver.8までいってしまった。今じゃ考えられないようなおおらかな時代だったのかな。トライ&エラーも共有しようみたいな。ただ、メーカーとしては無責任だよね。

このやり方は原始的だけど、今もやっていることはそんなに変わらない。OMMとかトレランのイベントで出店しているけど、ブースでお客さんとコミュニケーションをとるのは好きなんだよね。

―なんかガレージメーカーみたいなことを20年以上も前からやっていたんですね。

そうそう。20代くらいの頃からガレージメーカーには憧れがあった。ORショー(アメリカで開催されるアウトドアの展示会)にもルーキーのブースがあって、ガレージのブランドが並んでいるのも知っていた。

アウトドアが好きだし、ものづくりが好きだったから、それでどうやって食っていくかを考えていて、そこでガレージメーカーを見ると「俺もできんじゃん。やってみたい」って。その流れが「Journey Junkey」につながっていくんだけど。

ただ、今でこそ「ガレージメーカー」という言葉があるけれど、当時はそんなオシャレな言葉もなく、今ほど情報もなかった。

―せっかくなので、その「Journey Junkey」を見せていただけますか。

今見ると新鮮さはないけど、荷物が揺れないのがポイントで、荷重をなるべく体に近くした卵型でマチがないのが特徴。ちょうどトレッキングポールの使用が推奨されはじめた頃だったのでホルダーをつけた。メッシュ素材なのはアドベンチャーレースだと泥とか汗でぐちゃぐちゃになっちゃうので通気のために。ハセツネを走れるギリギリくらいのサイズ感で、たしか1万3000円くらいで販売していたと思う。

フロントの収納がないのは、まだハイドレーションがメインだったから。カロリーメイトみたいなエナジーバーが一般的で、ジェルもそんなに普及していなかった。まだ軽量性はそんなに考えていなかったので、樹脂フレーム内蔵、強度優先でバックルもゴツいのを使っていた。トレランパックで軽量化を考えはじめたのは、ここ5年くらいだと思う。

ウエストベルトは医療用の腰サポーターからヒントを得ているんだけど、これはオートバイをやっていたときにウエストベルトがあると楽なのを知っていて、その名残。走るためのバックパックのデザインとしてはまだ答えがなかった時代。もちろん今も探している途中だけど、頭を使って、体を使って、人と話して、その答えを探す行為が好きなんだと思う。

で、もうひとつが上下をひっくり返した設計にしたこれ。逆さまにしたのは重心を高くしたかったから。そして、ウエストベルトは肩と腰の距離があるのでどうしても遊んでしまうので、背面がやわらかいと背中に隙間ができないようにウエストの位置を上げて、肋骨の辺りに留めてあげる方式を採用。

当時は腰で背負うのが流行っていたんだけど、トレランパックは重さを腰骨に乗せるのではなく、揺れを抑えて体にフィットさせるのが優先だと考えた。この考えは今の「ラッシュ」シリーズにも受け継がれている。

走るためのバックパックというテーマは変わらないし、人間の体も変わらない。変わっているのは遊び方とか道具。求めるものは普遍で、快適とかストレスがないというのはいいじゃん。当時出した答えがこれだった。そして、快適性や機能性を考えつつも、頭のなかにあったのは海外のアドベンチャーレースで見たかっこよさ。それを真似るのではなく、日本発のかっこいいバックパックを作りたかった。

―こうして「Journey Junkey」として、ガレージブランド的にメーカーの仲間入りを果たすわけですが、そのままつづけずに「今」パーゴワークスとして活動しているということは、何か転換点があったということですよね。

「開発秘話 チェストバッグ編」でちょこっと話しているけど、自分は生産者になるのは向いていないと気づきはじめた頃でもあった。作るのは楽しいんだけど、「開発」をしていたい。そして、ブランドをやるなら、しっかり生産体制を整えてデザイナーとして開発に専念できる環境を作ろうと思ったのもこのとき。ただ、パーゴワークスを立ち上げるのはだいぶ先だけど、結局2010年くらいまでは「Journey Junkey」としてトレイルランニングカルチャーを追いかけつづけていたんだよね。