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[Friends' Story 02] アンソニー・リー 〜唯一無二でありたい〜
パーゴワークスのアンバサダーや、ブランドに関わる人のストーリーを綴る連載、「フレンズストーリー」。第2回に登場するのはパーゴ初のアメリカ人アンバサダーである、Anthony Lee(アンソニー・リー)さんだ。カラフルな髪色、たくさんのタトゥー、さらに色とりどりなアイテムを身につけて走る姿はレース中でもばっちり目立つ。最近はさまざまなレースで上位入賞をし、米国のウルトラランニング界隈でも有名になりつつある彼が、日本で最も有名で大規模なトレイルレース「Mt.FUJI 100」に出場するために来日。100マイルを完走した3日後にインタビューした。話を聞いてみると、性格は友達想いで、やると決めたことは最後までやる初志貫徹な男だった。
完璧なレースじゃなかった
Mt.FUJI 100のスタート前にRUSHランナーで集合!(左から下家、アンソニー、若岡、佃、西方)
ーーーまずはMt.FUJI 100お疲れ様でした!今年は昨年から順位をひとつ上げて17位(タイムは23時間56分)。レースから3日が経って、体の調子はどうですか?今回のレースの感想を教えてください。
パーゴのみんなもお疲れ様。まだ筋肉痛が残っていて、腸脛靭帯が少し痛むけど、レース後に鎌倉の温泉に行って焼肉を食べたので少し良くなったかな。今回のレースはとても楽しく、挑戦的でした。もっといい結果になったかもしれないけれど、昨年より1つ順位を上げられたことが嬉しい。昨年は吐き気と嘔吐と痛みに苦しんでいたけど今回はその問題がなく、今年はサポートもあり、各エイドで知り合いに会えて、励まされました。
完走したことには満足していますが、結果には満足していません。順位は上がったけれど、タイムが昨年より遅かったからです。まだ完璧なレースではありませんでした。レース中は多くの痛みがあり、実は何度もやめたいと思いましたが、世界中の多くのファンがライブ配信を見てくれていることや家族、友人の応援がモチベーションになりました。
約125km地点の明神山を登るアンソニー
ーーー途中、同じRUSHランナーの西方勇人さんとも走っていましたね。
ハヤトさんは本当に特別なランナーです。昨年のFUJIで出会った友人で、同じTOPOアスリートでもあります。昨年の夏に、彼のアメリカでのレース出走をサポートしました。彼は世界のトップランナーたちと肩を並べられる強いランナーだと思っています。彼は謙虚で静かでシャイですが、僕たちはあまり話さなくてもお互いを理解できます。レースで苦労している僕を見て、「一緒に走ってエイドに行こう」と言ってくれる思いやりがあります。彼のこんな一面はあまり見られないかもしれませんね。
時々ハヤトさんは「(レースの前に目標タイムを聞くと)特にない」とか言って飄々と生きている感じがしますが、目標や計画がないわけではないと思います。アジアの文化では、うまくいかない場合に備えて控えめに振る舞うことがあるからです。でも、彼はもっと自信を持つべきだと思います。
ーーー「アジアの文化ではうまくいかない場合に備えて控えめに振る舞うこともある」というのはどう言うことでしょうか?
僕の両親は香港と中国のマカオ出身で、上の兄弟2人とアメリカに移住した後、僕が生まれました。上の兄弟は勝ち組ですが、僕自身は家族の中では「Black Sheep(変わり者)」。いわゆるアジア系アメリカ人が進む典型的キャリアパスではなく、自分の好きなことをして生きています。もちろんプレッシャーを感じますが、アメリカには多様な生き方の人々が多く、そのおかげで自分らしく生きていいんだと気づかされます。だからハヤトさんをはじめ、夢や目標を持つランナーたちが、僕を見て、自分の好きなことに自信を持って追求し続けてほしいです。
彼は年上ですが、まるで弟のように感じる時があります。そんな彼を「Little Big Brother(小さいお兄ちゃん)」と呼べるのが本当に嬉しいです。
兄弟のようだと語る西方さんと一緒に走る場面も
子供の頃は運動不足 100mも走れなかった
ーーーここからはアンソニーの生い立ちについて聞きます。アンソニーが走り始めたのはいつから、何がきっかけだったのですか?
走り始めたのは小学校5年生、11歳くらいの時です。当時、僕は運動不足で肥満児でした。マクドナルドなどのジャンクフードが好きで、テレビの前でアニメばかり見ていて、喘息も患っていました。でも、このままでは将来、健康上の問題が出るかもしれないと思い、走り始めました。最初は100mしか走れず、走るのは好きではありませんでした。6年生の時、陸上競技の大会に出場しましたが、とても遅かったです。それでも続けて、高校生の兄が一緒にトレーニングしてくれたおかげで少しずつ体重が減り、成長期もあって、8年生までうまく栄養管理もできました。その後、兄と姉と同じ高校に通い、クロスカントリーや水泳、陸上競技をやりました。競争が激しい環境でスキルを磨き、体重も減り、競争心が強くなりました。トレーニングの成果が結果に反映されるのが面白かったです。
走り出す前と現在のアンソニー。子供の頃は太っていた
ーーー高校を卒業した後についても教えてください。トレランを始めたのはいつからですか?
2012年に高校を卒業してからは1年間休学し、ボストンで仕事をしながら1人で走っていました。自分が何をしたいのかわからなかったので、ヨガスタジオやヴィーガンカフェで働きながら、好きなだけ働いて走っていました。翌年、クロスカントリーチームの推薦でボルチモアの大学に1年間通いましたが、いろいろあって退学。その後、ワシントン州の実家に戻り仕事をしながら走っていました。ある日、姉が25kmのトレイルランニングレースを紹介してくれ、初めてのトレランレースに参加しました。2014年に出た50kmのレースで大会記録に20秒と迫る記録でゴールし、なんと優勝!途中で転ばなければ記録を破れていたかもしれません。この経験からトレイルランニングが好きになり、これを一生の仕事として続ける方法を考えました。プロアスリートにはなりたいけれど、オリンピックに出るほど速くはありませんでした。
大学時代のクロカンレース
ーーーこれまでの記録を見ると、トレランを始めて2年後の2016年には100マイル超のレース「Bigfoot120(193km)」に挑戦していますよね。
初めての50kmレースの1年後の、2015年のBigfoot120です。ゴールにはたどり着きましたが、制限時間の48時間を超えてしまい完走扱いにはならず・・・。途中で何度も道に迷い30km以上多く走ってしまいました。足の水ぶくれや胃の不調もひどく、レースで考え得る全てのトラブルに見舞われて、大変なレースでしたが、失敗したままにしておくのは嫌でした。そこで、翌年にリベンジしたら12時間短縮して総合3位、男子2位で完走!ランニングコミュニティに入り仲間も増え、もっといろんなレースに出たいと思って走り続けました。トレランを始めて今年で10年。ケガや他の問題もありましたが、これまで100マイル22回を含む、60回以上のウルトラレースを完走しました。
アメリカ人初のRUSHランナー
ーーーそんなアンソニーと初めて会って話したのは、昨年8月、世界で最も有名なトレイルレース「Ultra-Trail du Mont-Blanc(UTMB)」のEXPOでしたね。
そうですね、UTMBで斎藤さんと新藤さんに会いました。ちょうどEXPOでハヤトさんを探していた時にね。RUSHは昨年、ハヤトさんのOuray 100をサポートした時に、彼が背負っているのを見て知っていました。2人からは僕のことを知っている、ぜひRUSHを試してみてと言われました。別のランニングベストを使うつもりでしたが、レース前に試してみるとすべての装備が入り、背負い心地が良かったので、本番でもRUSHを着用することにしました。当時、アウトドアショップで働いていて、さまざまなギアを見てきましたが、RUSHは他のパックと異なっていてとてもユニーク。そこが気に入りました。UTMBで問題なく使えて、そのクオリティの高さを実感しました。
ーーー気に入ってくれて、私たちはとても嬉しかったです。そして、RUSHランナーとして活動してくれることになりました。
RUSHとパーゴのネットワーク作りを手伝いたいと思い、RUSHランナーになりました。今では、RUSHをすべてのランニング仲間に紹介しています。彼らもまた、その快適さ、収納容量、そして調整可能なベルトを気に入っています。アメリカでももっと多くのユーザーが増えるといいですね。
UTMBは28時間18分で完走。途中で吐いたりして苦しんだが、元気に帰ってきた
家から30分でトレイルへ メディテーションで体をチェック
ーーー普段はどんなトレーニングをしているのですか?
10日間を1つのトレーニングサイクルとしていて、そのうち1日は休息日です。距離や標高よりも走行時間を優先して、週に18〜20時間走っています。家から30分、5kmも走ればシングルトラックのトレイルに着く最高の環境に住んでいます。ボルダーは標高1600mで、長距離選手がトレーニングに来る高地としても知られていますよ。
トレーニングとは別に、日課にしているのはメディテーションとヨガです。これらは自分が達成したいことをイメージし、体との調和を高めるのに役立ちます。深呼吸しながら体をスキャンすると、普段と違う感覚に気づくことができます。例えば、ふくらはぎに違和感を感じたら、それに注意を払ってランニング前にマッサージします。メディテーションとヨガも日課の一部です。
ユタ州モアブにあるキャニオンランズ国立公園にて、ランニング仲間のキリアン・コースと一緒にトレーニング
レースは絶対にやめない
ーーー生い立ちをこれまで聞いてきたけれど、最初は健康のために走っていました。勝ちたい、1位になりたいというような競争心はいつから出てきたのでしょうか?
最初から競争心は強かったです。子供の頃はビデオゲームやボードゲームでも競っていました。初めて出た25kmのレースでも、トレラン未経験でしたが勝てるかもしれないと思っていました。初めてのレースから今まで、自分のベストを尽くそうとしています。調子が悪くて表彰台に立てないこともありますが、そういう時でも最後まで完走することを大事にしています。
ーーーいつも負けず嫌いだけど、いつもコンディションが良いわけではないですよね。今回のMt.FUJI 100では、山中湖きららのエイド(122km)では横になってマッサージを受けていました。でもギブアップせず、レースを続けました。どうしてでしょうか?
本当は山中湖きららのエイドでやめたかったです。残りの距離を考えると登りが多く、負荷が大きいと思ったからです。でも、怪我や病気ではないし、時間はかかっても進み続ければゴールできると思いました。日本まで来て、スポンサーのサポートもあるので、リタイアは悲しいと思い、笑顔でポジティブにゴールを目指すことにしました。遅くなると分かっていましたが、後悔したくなかったのです。
山中湖きららのエイドでは、すぐ横になって30分ほど休んだ
ーーーそうやって進み続けたアンソニーとは反対に、トップになれないからといって、リタイアするランナーもいますよね。
そうですね。それはエリートランナーにとっては短絡的な決断だと思います。昨年は吐いてしまい、トップ5からずるずると順位を落とし、最終的には18位でした。それでもゴールできて良かったです。このレースは競争が激しいです。3000人の中で17位や18位は悪くないと思います。でも、トップアスリートの中にはそれを悪いことだと思いリタイアする人もいます。それには驚きました。
そんな苦しい時こそポジティブでいたいと思います。口角を上げ、美しい景色や富士山を見て、元気をもらっていました。身体的に走っているのは自分だけですが、ゴールするのは自分だけではありません。サポートしてくれる友達や家族、彼女や愛犬、スポンサー、レース仲間やボランティアまで、みんなの存在がゴールまでの気持ちを支えてくれます。彼らを思い出すたびに元気をもらい、前に進むことができました。心に暗雲が立ち込めても、ポジティブでいることが重要だと思います。
カラフルな髪色とタトゥーはユニークでいるため
ーーーアンソニーの特徴とも言えるのが、カラフルな髪とたくさんのタトゥー。これについても教えてほしいです。
肩から胸にかけて彫ってあるのはタコのタトゥーです。タコは非常に賢く、神秘的な生き物です。タコの足の数の「8」は中国文化でラッキーナンバーでもあります。他にもクマ、ワシ、ポケモンのヒトカゲ、そしてトトロのタトゥーもあります。Mt.FUJI 100の後には辰年生まれの父にちなんで、幸運、健康、繁栄の象徴でもある龍のタトゥーを日本で入れました。
ーーー髪の毛は自分で染めているんですか?他にもシューズもいつもカラフル。どうして?
普段は自分で染めていますが、最近は彼女が僕の髪を染めてくれます。いろんな色を混ぜて、ユニークなヘアスタイルを楽しんでいます。青や赤、紫、緑に染めたこともありますが、今は髪を休めるために黒とブロンドに戻しています。左右の足それぞれに違うカラーのシューズを履くのは、日本のランナーから学びました。たくさん色があるのが好きです。人がたくさんいる中でも目立つから。髪色を変えたりタトゥーを入れるのは、ユニークでいたいからです。たくさんの人がいる中で、僕は唯一無二の存在でいたいんです。
赤色(2022)→青色(2023)→金色(2024)→次は???
日本のアニメ、日本食も大好き
ーーーさっきトトロとポケモンのタトゥーが彫ってあるって言ってたけど、日本が好きだと聞きました。来日は2回目と聞いたけれど、今回は日本旅行も楽しんだんだとか。
日本の大ファンです。渋谷や原宿のカワウソカフェなど、いろんなところに行きました。友達へのプレゼントにピカチュウのぬいぐるみも買いました。日本のアニメが大好きで、子どもの頃からポケモンやハンター×ハンター、デジモン、ナルト、ドラゴンボールなどたくさん観ていました。日本食も好きで、カツカレーやお好み焼き、寿司や焼肉も大好きです。アメリカで日本食レストランで働いていたこともあり、日本語の「いらっしゃいませ」は歓迎されている感じがして好きです。
来日中、都内を同僚のディランと一緒に走って食べた寿司ランチ。
「すべてに最善を尽くしたい」
ーーーこれまでたくさん話を聞いてきましたが、最後に、アンソニーの今後の目標レースや夢を教えてください。
走りたいレースは日本のLAKE BIWA 100(インタビュー後に申し込んだ)、Hardrock 100*の全ての予選レース、そしてBarkley Marathons*やEverest 135、レユニオンのLa Diagonale des Fous*など、難しいレースに挑戦したいです。全てのWorld Trail Majorsのレースにも参加したいです。
将来、僕は今と同じように、本当の自分であり続けたいです。愛情深く、自分に忠実であり、妥協せず、すべてに最善を尽くしたい。自分の目標に向かって努力し、約束や言葉を尊重し、守りたいです。約束したことは必ずやり遂げることを心がけています。そして、将来は親になりたいと思っています。マリアと結婚し、子育てをしたいです。走ることとは関係なく、良い人間であり、友人を助け、また次世代のために健康な環境を築き、世界や動物たちを大切にしていきたいです。
2021年に優勝したOURAY100(米国)にて。左からお父さん、アンソニー、彼女のマリアさん、お母さん
<あとがき(インタビュー担当・ウメ)>
私も43時間かけてMt.FUJI 100を完走しました。アンソニーとタイムは全く違いますが、上位で走る彼でも苦しい時間があったのだとビックリ。また、彼とは年齢も近いのですが、アンソニーが自分の生き方に悩みながらも、好きなこと「トレイルラン」に出会って自分の道を突き進む姿に感動しました。今回話を聞けて髪色やタトゥーの理由にナルホドと思って、とってもファンになりました。皆さんもぜひアンソニーを応援してくださいね!!
<注釈>
*ケトジェニック・・・高脂質、低炭水化物の食生活を送り、体内の脂肪をエネルギーとして燃えやすい体にすること
*ゆりくん・・・百合草くん。Topo Athleticsを日本で展開するアルコ・インターナショナルの営業担当。今回のMt.FUJI 100でアンソニーのサポートを担当した。
*LAKE BIWA 100・・・例年11月に三重〜滋賀にかけて走る100マイルレース。トレイルランナーの丹羽薫さんがレースをプロデュース。
*Hardrock 100・・・米国コロラド州で開催される、毎年150人しか出走できない人気100マイルレース。認定レースの完走が申し込み条件で世界中から応募がある。
*Barkley Marathons・・・米国テネシー州でGPS使用禁止、制限時間60時間内の条件で行われる100マイルレース。過去37年間で完走者が20人未満のため、悪魔のレースと呼ばれる。
*Diagonale des Fous・・・マダガスカル島の東にあるレユニオン島で開催される100マイルレース。グラン・レイド・レユニオンのレースのひとつ。
Anthony Lee(アンソニー・リー)
1994年生まれ、アメリカ・コロラド州ボルダー在住のトレイルランナー。11歳の頃から走り始め、姉に勧められたのをきっかけにトレイルを走るようになった。これまでに走ったウルトラレースは60回以上で、100マイルレースは22回完走。2023年にRUSHランナーになった。直近の戦績は23年UTMBで28時間18分で完走、24年1月のHURT100(ハワイ)で100マイル2位、2月の9Dragons 50km(香港)で2位。
ブログも必見です→ https://anthonyclee.blogspot.com/
【お気に入りパーゴアイテム】
RUSH HIPとRUSH 7R
RUSH HIP(シャドウグレー)が大好きでほとんどのランで使っています。電話や鍵、水分、携帯食が入れやすいです。
長いレースで、エイドやサポが少ない場合は、RUSH 7Rを愛用しています。必要な装備や栄養補助食品をたくさん持ち運べるだけでなく、ランニング中に擦れたり、重く感じたりすることがありません。また、友達が7Rを試着するときに、すぐに調整できるのもいいですね。