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RUSH30 × 無補給ファストパッキング in 北アルプス
2024.10.08 ACTIVITY

RUSH30 × 無補給ファストパッキング in 北アルプス

トレイルランナーのために開発されたバックパック「RUSHシリーズ」。なかでも「RUSH 30」は、野営を伴うファストパッキングに対応する容量とスペックを備え、アグレッシブな動きにも対応する高い安定感が魅力だ。

そんなRUSH30の可能性を、さらに追求すべく、壮大な計画が立ち上がった。海抜0mから、標高3000mに迫るアルプスを走る。しかもテント泊で。無茶振りとも言えるプロジェクトに応えてくれたのは、PAAGOフレンズのふたりのトレイルランナーだった。

海外のステージレースに挑戦しつづけ、昨年は北海道から九州まで踏破する日本列島大縦走を成功させた若岡拓也、そして美容師と並行して長距離レースを走り、ランニングチーム〈チキンハート〉を主宰する藤川英樹が、日本海・親不知から栂海新道を登り、そして北アルプスの尾根を駆け巡る。

今回のプロジェクトでは、RUSH30の性能にフォーカスし、「テント泊装備」「水以外は無補給」などの条件も加えている。なお、撮影クルーだけでなく、天候や小屋の状況に目を光らせるグラウンドスタッフもジョイン。2024年の夏の締めくくりにふさわしい、パーゴワークス総力をあげての大縦走プロジェクトをお届けしよう。

メンバー紹介

若岡拓也(わかおか・たくや)超長距離トレイルランナーでパーゴワークスのアンバサダーでもある。2014年にブラジルのアマゾンで開催された「ジャングルマラソン」で入賞後、山岳、砂漠、雪原などの極地で行われるロングレースに参戦しつつ、あらゆるフィールドで活躍中。2023年には「日本列島大縦走」を敢行。

藤川英樹(ふじかわ・ひでき)恵比寿の美容室「Broccoli Playhair(ブロッコリー プレイヘア)」のオーナー。ダイエット目的で始めたランニング歴は10年。いまでは国内外でのトレイルランニングレースに出場するほか、ランニングチーム「チキンハート」を主宰。箱根でのトレイルランイベントも開催。トレイル整備やトレランのマナー周知にも力を注いでいる。

想定ルート:親不知〜栂海新道〜白馬〜唐松岳

プロジェクトの日数は4日。DAY0は都内から日本海・親不知まで移動。宿でパッキングを整え、翌朝のスタートに備える。そしてDAY1は、栂海新道を登り、朝日小屋まで。走行距離は約28km、累積標高差は3600m。しかも暑さが堪える夏。水分補給や熱中症のリスクに見舞われる可能性もある、ハードな行程が予想される。

そしてDAY2は、雪倉岳を経て、白馬方面へ。たおやかな山容と険しい峰々が連続する、ハイライトとも言えるセクションを駆け抜ける。DAY3は、進行のペースや天候に合わせて、唐松岳や五竜岳からのエスケープ、さらには扇沢までの移動なども考慮し、柔軟に下山ルートを検討するプランを設定した。

通常であれば、親不知から唐松岳までは3泊4日、もしくは4泊5日を要するコースだ。それを実質2日で駆け抜ける。長距離レースを楽しむ若岡、藤川両氏の走力とRUSH30ならではの機動力を組み合わせるからこそのプロジェクトだと言えるだろう。

そしていつもと違うのは撮影スタイル。パーゴクルーに先述のルート&タイムで2人の走力について行ける(場合によっては先を行く必要もある)人材がいないため、撮影担当を2人に、さらに一部区間は若岡と藤川のふたりきりでかつ撮影もお願いする作戦に落ち着いた(というかそうするしかなかった)。しかしこれまで到着時間の読めないルート途中で待ち構えるスタイルを試したことがなく、2人目の撮影担当・カメラマン小林がどこから登ってどこで合流するかの調整もギリギリまで行う展開となった。撮影はDAY1の親不知から朝日小屋まではパーゴ最若手のクノールが、DAY2早朝の朝日小屋からは若岡&藤川が、DAY2以降はカメラマン小林が担当。ふたりの動きを確認しながらカメラマン小林をどこから合流させるかを探りながら連絡を入れるグランドスタッフ(@国分寺)。現状でできる限りの総力戦。パーゴスタッフにとってもチャレンジングな企画となった。

DAY 1:海抜0メートルから灼熱の樹林帯を登れ!

午前4時。若岡と藤川は日本海の海岸に立っていた。打ち寄せる波の音を背にして、登山道へと歩みを進めていく。帯同クルーは、パーゴスタッフの久能。ふたりに喰らいつきながら、山行の様子をおさえていくのがミッションだ。初日はクノールのレポートでお届けする。

この日は海抜0mから標高2417mの朝日岳を経由して朝日小屋のテント場へ向かうルート。豪雪に育まれた樹林帯から、黒岩山〜長栂山区間の高原湿原、さらに高度を上げると北アルプスの大山脈を眺めるエリアへと景色が変わってくる。テント泊装備を背負って1日で踏破するにはかなり骨の折れる行程だ。夜も明けないうちからスタートを迎える。得体の知れない恐怖と興奮が入り混じった複雑な心境で日本海に別れを告げた。

歩きはじめてから2時間後、恐れは現実となる。想定以上に気温が高く、湿度も高い。標高が低いせいか。加えてコースタイムの半分を目標としたハイペースに、たまらずタイムアウトを要求する。それでも若岡、藤川は余裕の表情。苦悶の表情を浮かべる余裕もままならない僕をみて、笑ってさえいるのだ。意味がわからなかった。危うく怒りさえ感じるところであったが、振り返ってみれば彼らなりの優しさだったのだろう。彼らの余裕ぶりと、この先に続く旅が楽しみで仕方がないといった様子が、僕に同じ景色を見たいと思わせてくれた。

※余談だが、クノール自身も高校時代は山岳部、大学時代はアドベンチャーレーサーになるべくチームに所属して経験を積んでいた。登山における体力、経験、技術も申し分ない。なにより若い。なので、若岡&藤川にもなんとかついていけるだろうという(希望的)見立てがあった。

夢を繋いだ道、栂海新道

ここで初日のルート、栂海新道について紹介しておこう。栂海新道は、ひとりの青年が北アルプスの稜線をつなぐことを夢みたことから始まる。小野健氏が1961年に「さわがに山岳会」を立ち上げ、1966年にこの道を作り始めた。苦節6年、ついに栂海新道は北アルプス最北部の完全縦走路として誕生した。標高0m〜3000mの植物の垂直分布と、山体を形成する中生代〜古生代ペルム紀の岩石の水平分布を同時に観察できる日本唯一の縦走路で、学術的な価値も高い。道中の多様な植生と、北アルプス北部の壮大な景観が魅力だ。

栂海山荘から先は尾根づたいにアップダウンを繰り返しながら標高を上げていく。僕の疲労もとどまるところを知らないようだ。山荘からほど近い小ピークで電波が通じ、グランドスタッフと連絡がついた。あまりのハードさに、つい「撤退したい」という弱音を吐いてしまった。しかし、さすがに普段デスクを並べているチームだ。僕の泣き言も想定内だったようで、なかば脅すように励ましの言葉をくれた。優しくされると帰ってしまいそうだったので助かった。

結局、このあとの黒岩山のピークまでついていき、チームを分散することになった。

先行した若岡、藤川は12時間で朝日小屋に到着、僕は最終的に13時間以上もかかってしまった。疲労困憊、立っているのもやっとの状態で到着した僕を、2人はまたもや笑っていた。そしてもはや息をする以外なにも考えられない僕の代わりに、藤川がグランドスタッフへの情報共有と小屋の宿泊手配をとっくに済ませてくれていた。一緒に食事を摂り、それぞれ次の日に備えて眠りについた。

藤川's Voice親不知のホテルを出て、海にタッチをしてのスタートでまだ夜が明ける前だったが、思ったより暑く最初の登りから汗が止まらなかった。歩きのスピードなので、と油断して塩熱サプリを持ってこなかった。自分汗の量をみて不安になり、若岡君に相談して塩熱サプリを少し分けてもらった。自分の持ってきた補給食から塩っけの多い塩煎餅を取り出してそれをボリボリ食べながら登った。
この区間は小屋が無人で、水場も枯れている可能性もあるので常に1.5リットルは持つようにしていた。実際、水場もコースから少し降ったりしないといけない場所が多くチョロチョロとしか出ていなく、3人で代わりばんこに汲み、各々が納得いく量をくむのにかなりの時間を要してしまった。川が流れてるところでは浄水器を使って水を補充した。浄水器を持っていてよかった。
 朝日小屋のテン場に着くのが遅くなるのを避けるため、朝日小屋への最後の登りで、クノールと別れて若岡くんと2人で登る。朝日小屋に着くと、たまたま撮影できてたパタゴニアクルーの友人とバッタリ。 次の日クノールがこのクルーと一緒に山を下山するという縁もあり、初日の行き先を白馬から朝日小屋に変えたのも意味があったなぁと思い出しながらニヤニヤできた。

若岡's Voice:想定外の多い旅だった。スタート前から波乱含みで、台風の接近でそもそも山に行けるのかも怪しい状態。行く、行かないで直前まで右往左往していたのが一番の想定外かもしれない。普段は走って距離を稼ぐが、今回は無補給のハイクということで食料を含めて装備が重め。それでも総重量は11kgくらいに収まり、思っていたより意外と軽い。
 設定がコースタイムの半分ということもあり、無理なく歩ける行程。それどころか軽量なので走れそう。などと思っていたものの、ふたを開けてみると、撮影担当のクノールが夜明けとともにほぼ昇天。まだ3時間も動いておらず、これも想定外。途端に時間が読めなくなった。
天を仰ぎたいのはこちらなのよ、と思うも、彼はまだ21歳の若者。倍ほど生きている自分の方が動けて当然か。まあ、こんなこともあるかと、若人をなだめすかして登らせることに。当初の計画とは大きく方向性が変わったが、こっちの方がチャレンジングでよかったのかも。

DAY 2 :白馬の山々を駆け抜けろ

山行2日目。AM4時に起床し、テントを撤収し、パッキングを整える。陽が昇る前に距離を稼ぐべく、早朝にスタートした。0〜1日目を帯同した久能はここで離脱し、北俣登山口に下山。親不知に戻り、車をピックアップし、3日目に合流するために移動する。ここから白馬岳までは、若岡と藤川の2名のみの山行となる。

空が白んでくる頃、2人は手早く準備を済ませていた。ここから先は小屋で買う他に水の確保はできないので戦略を立てながら準備をしていたようだ。昨日のハードな山行を感じさせない、軽快な足取りで次のポイントに向かう2人の背中は心なしか大きく見えた。

藤川's Voice:朝ごはんは、日が登ってから作戦会議しながら白馬で食べようと若岡君と決めていた。前日の汗だくの服を乾かしながら白馬を目指した。昨日までの湿気ムンムン、汗びっしょりとは打って変わって、景色は北アルプスの稜線が見え、涼しくかなり気持ちのいいコースだった。あっという間に白馬。そこでカメラを構えて待ってくれてた小林さんと合流出来た時はテンション上がった。

若岡's Voice朝に弱いのでどうしても淡々と歩くことになる。早朝のハイライトは白馬岳に向かう途中ですれ違った女性。ドレッドヘアーを束ねていたヒデキさんを見るなり女性が言った。「MISIA、MISIA」。一瞬とまどったものの、ヒデキさんの髪型のことを言いたいのだと気づく。確かに若かりし頃のMISIAはそんな髪型をしていた。すれ違いざまに大喜利を仕掛けられるとは思わなかった。笑ってしまい、目が覚めた。

白馬岳山頂直下で待ち受ける

カメラマン小林は前日にグランドスタッフから若岡&藤川の位置情報を聞き、栂池から入ることで落ち着いた。栂池から白馬大池までアプローチし、日の出とともに白馬岳へと登り、ふたりの同行を確認しながら待ち受けること数時間。白馬岳山頂直下、ガスの切れ目を縫うように稜線から上がってくるランナーの姿を捉えた。

取材クルーサイドとしては、ひとつの懸念だった「合流」。ランナーふたりのペースや天候などのコンディションにより、2日目にどこを走るかは未確定だったからだ。朝日小屋からのスタート時間、コースタイムの0.5倍程度のペースで算出すると、8〜9時頃に白馬岳を通過するという予測ができた。そこで、三国境から白馬岳までのルート上で、2人を待つことにしたのだった。

いいペースで駆け上がってきた若岡と藤川は好調そのもの。「腹が減りました」という若岡は、朝食を食べずに出てきたこともあり、白馬頂上山荘のテーブルで食事をとることに。この日、スタートして4〜5時間ほど。中間のレストとしてもちょうどいい頃合いだろう。

ここから白馬槍ヶ岳までは走りやすい最高のルートがつづく。心地よいアップダウンを楽しみながら、目の前の景色はダイナミックに変化していく。白馬山域の魅力を存分に味わえた。そして、天気予報が悪かったからか、ハイシーズンにも関わらずすれ違う人もまばらで最高の景色を独占できた。

帯同して感じたのは、ふたりの余裕だった。ペースはおそらく、一般的なコースタイムの0.6倍程度。サクサク歩く程度のスピードなのだが、ふたりは登りでも話すのをやめない。息が切れる急登でも、呼吸が乱れないのだ。今回は撮影ということもあり、カメラマンが帯同している。おそらくは、ふたりだけであればもっとスピードを上げて駆け抜けられたのであろう。

そして天狗山荘へと到着。実は、このときここでの「停滞」かさらに先へと「進む」のか、ジャッジを迫られていた。時刻は12時。天気予報によると午後にかけて雨が降るという。ただ雨に降られるだけであれば問題ないのだが、この先は「不帰の嶮(かえらずのけん)」という難所を通過しなければならないのだ。

不帰の嶮は、地図では破線ルート、つまり一般登山道ではない。岩場をよじ登ったり、クサリ場を越えたりと、ランでもハイクでもないセクションなのだ。ここで雨に降られるのは安全上問題がある。そのため、ここで停滞するか、行ってみるか判断する必要があったのだ。しかしまだ昼時。

「とりあえず行ってみて、雨が降ってきたら引き返しましょう」。

時間はある。であれば様子だけでも見に行ってみようとなった。小屋でダラダラ過ごすのはもったいない。

ここで、今回のプロジェクトを支えた「グランドスタッフ」についても紹介しておきたい。幕営地を明確に決めないコース設定だったため、ランナーのふたりがどこにいるかを常に把握し、撮影班に共有する必要がある。

さらに、山行を決行する直前の天気予報はとても微妙なものであった。風はなかったものの、雨マークが並び、山の景色を楽しめるような予報ではなかった。あとは現地のコンディションに合わせて行動することで、プロジェクトは進んでいった。しかし、目まぐるしく変わる天気。その予報を随時グループで共有しつつ、ランナーたちは行き先を決めていったのだった。

グランドスタッフのつぶやき こちらグランドスタッフ。ロケだから天気に左右されるシチュエーションは想定内……。だけど、チェックするたびに天気が変わると「なんだよ!」って言いたくなる(結局ずっと言ってた)。そして遮るものがないきれいな稜線上なのに携帯の電波状況がイマイチなのがこのルート。なにもできないし、ずーっと落ち着かない。だから若岡さんが携行していたIBUKIにはめちゃくちゃ助けられた。

IBUKIの電波が絶好調で、連絡が取れなくても居場所はわかる。でもちょっと目を離すとふたりはあっというまに進んでいる(これは本当に想定外!)。しかも2人にひいひい言わせるルートのはずなのに、たまに送られてくる写真が全部笑顔(これも想定外!)。ふたりのスピード×天気=距離を予測しつつ、カメラマンの合流ポイントを決めなければならない。白馬大池か白馬大雪渓か唐松岳か……。結局決まったのは合流6時間前のことだった(スマホのカメラロールはお天気アプリのスクショで埋め尽くされた)。

進んでいくと、「天狗の大下り」からガスをまとった不帰の嶮と、荘厳な唐松岳が目の前に立ちはだかった。これまでの「登山道」とは違う、異質な雰囲気が漂う。トレッキングポールは収納し、スピードよりも安全を優先して進んでいく。懸念だった天気も持ちそうで、むしろ暑さが和らいで行動しやすい。コースタイムでは、不帰の嶮は3時間。順調に抜けられれば16時には唐松岳のテント場に間に合いそうだ。

無事に不帰の嶮を通過し、15時すぎに唐松岳山頂に到達。振り返ってみると、歩いてきた稜線が雲の合間から姿を見せた。白馬岳周辺のゆるやかな稜線とは異なり、緊張感のある岩場がつづくセクションを越え、ほっと一息。テント場で目まぐるしく過ぎていった一日を振り返るのだった。

このとき感じていたのは、一般的な縦走登山の装備で、不帰の嶮の難所を通過するのはとても大変だということ。ときにはオーバーハングした岩場を、ある程度のスピード感をキープしながら通過できたのは、パッキングが小さく軽量だったからだ。また、重装備では長距離の歩行で体力を消耗し、唐松岳まで行こうというモチベーションがなくなっていたかもしれない。

藤川's Voice:午後の天気が怪しい。何時から降るのか、と電波の入るところでグランドスタッフとやり取りしながら進む。雨,風が強いなら不帰キレットはやめようと3人で話し合った。正直、僕はめちゃくちゃビビってました(笑)。実際目の前まで行くと天気も悪くなく、岩場も乾いててあっという間に通り過ぎることができた。唐松のテン場が個室みたいで気持ちよかったな〜。

若岡's Voice:山の天気と思春期の恋心は変わりやすい。うつろうものの代表のように言われるが、この日の天気は不安定なところで安定。ガスにまかれはしたが、先の見えない片思いほど五里霧中ではないし、雨は降りそうで降らなかった。ありがたい。山も恋も、どちらもフラれるのはツラい。ちょっと危ない方が刺激的で面白いのも両者の共通点。不帰の嶮はアスレチック的でよかった。しっとり濡れていると難度が格段に上がっていたはず。そう考えると天気に恵まれていた。

DAY 3 :唐松岳から下山

前日夜の天気予報で荒天の懸念があったため、縦走を唐松岳で終えることを決定。朝はゆっくりと朝食を楽しみ、下山の準備を進めた。これから天気が悪くなるのか?と思うほどの晴れ間が広がり、まだ先を目指したい気持ちをグッと抑え、予報を信じ八方尾根の登山口へと向かったのだった。

下山ルートからは、白馬の稜線を一望でき、これまでの旅を振り返ることができた。山行自体は正味2日間と短いが、移動距離は50kmを超える。日本でも人気の山域ということもあり、名峰をいくつも登ってきた。記憶に残るロケーションが、いくつもある。素晴らしい山の風景が、ギュッと凝縮された旅となった。

RUSH30で、テント泊縦走登山ができるかが、今回のプロジェクトのテーマだった。すでにロゲイニングイベントなどでも、野営装備や食料が不足なくパッキングでき、安定感をもって行動できることは証明されていた。おそらく、この10年で装備の軽量化・コンパクト化が著しく進み、30リットルという容量のバックパックでもオーバーナイトの山行が可能になったように思う。ULパックで実践しているハイカーも多く、それほど驚きはないかもしれない。

しかし、RUSH30の大きな魅力は、その安定感にある。高重心の設計、密着するハーネス、使い勝手のよいポケット類など、機能はトレイルランニングパックのそれである。マーケットを見渡してみても、トレイルランニングパックで30リットルを備えるモデルはほとんどない。

ハイカーにとっては、よりアクティブでスピーディーな山行が可能になるし、トレイルランナーにとってはスタイルはそのままに、野営を組み込むことでより長距離を走ることができる。ハイカーにもランナーにも、ぜひとも使ってみてほしいバックパックなのだ。

藤川's Voice:7月のリスケもあり、次はスケジュール的に難しかった。天気があやふやで前日まで行くか行かないかグランドスタッフの皆さんが悩んでくれ、行けるとこまで行こうと判断してくれた事、とてもナイスジャッジでありがたかった。1人や2人で行くのとはまた違い、カメラマンとの合流やグランドスタッフとのやり取り、下山場所へのピックなどチームでひとつのプロジェクトをやってる感じがなんとも新鮮で楽しかった。
トレイルランニングでは長い距離を走ったり、経験も重ねてきたものの、高い山の縦走、キレット、高い所でのテント泊の経験が少なく不安もあった。しかし、打ち合わせでの荷物の選別、RUSH30へのパッキング、若岡くんと行動しながらのレイヤリングや装備の話など、僕にとってはかなり学びの多いいい時間となった。僕の息子が、あと2年程したら一緒にテント泊で縦走出来るのかなといい練習にもなったかな。コレを機にもっと山へ入っていこうと思います。

若岡's Voice:6月末に出場したモンゴルのランニングレースでは、大会中は1週間にわたり草原でテント泊。昨年夏には「日本列島大縦走」で北海道から鹿児島まで山々を走って踏破。その際に野営と、振り返るとやや極端なテント泊が多いので、真っ当な縦走ができてよかった。
道中はヒデキさんとバカな話で盛り上がり、脚も口も動かして、食べて、寝るという充実の3日間。そして、クノール、小林さん、グランドスタッフと、みんなで右往左往しながらも縦走できて、いつもとは違う新鮮さがあった。1人で行くのも楽しいけれど、仲間がいれば、自分が思っているよりも遠くまで行けるはず。そんなことを感じた旅だった。

パーゴワークス・久能's Voice:下山後、親不知海岸に戻った後のミッションはカメラマンと若岡、藤川を回収すること。ただ回収するのでは芸がないので、せっかくならルートを少し逆走して迎えに行こうと考えていた。ボロボロになった若岡、藤川を待つつもりで夜明け前に八方池に向かった。しかしそこに現れたのは爽やかな笑顔の2人だった。想像を超えるタフさを改めて実感した。

おまけ

最後に、山行前の準備段階のストーリーもお届けしたいと思う。今回のテーマは、RUSH30を用いたテント泊山行の可能性の追求だった。30リットルという限られた容量で、テントや衣類、そして食料を不足なくパッキングできるかどうかは、大きなポイントとなる。

グループチャットでの打ち合わせやギアについての議論を交わしつつ、実際にパッキングとフィッティングを行った。なお、記事を読んで気づいた方もいると思うが、若岡が背負っていたバックパックは、現在開発中の30Lのバックパック。発売前のフィールドテストも兼ね、その機能性をテストしていたのだった。

 

ちなみに、テントについては、それぞれが携行するパッキングを行っていたが、最終的に2人でNINJA TENT1張りに。若岡が背負う形で装備を分担した。

ギアリスト

藤川

若岡

 

RUSH 30

「走って泊まる」を快適にするファストパッキングモデル。オーバーナイトでのファストパッキングに特化したRUSH 30。高重心設計と独自のトップスタビライザーにより理想のバランスと背負心地を実現している。今回の山行は少しチャレンジングだったが、2泊以上の縦走テント泊にも対応できることが証明できた。外ポケットが少ない分、ウォーターボトルや行動食、スマホやモバイルバッテリーはハーネスのポケットに収納して携行できる。機動性を重視する縦走時はよき相棒となってくれるはずだ。